自己満足文章

まず、タイトル通り主観的な文章です注意。

先日、ずっと積ん読状態だった「8〇1ちゃん3」をようやく読みまして。1・2は未読。
まず思ったのは「ついていけない」。
ヲタクっぷりではなくネタが。私がノータッチの作品を題材にしているものが多く、ネタの盛り上がり・ツッコミ所が理解不能なのです。それを見越して欄外に注釈がありますが、概要がわかるだけでオチどころがわからず結局4コマ自体は理解不能。しかもその注釈がほぼ全ページに大量。
これはブログを書籍収録したのが最初ですから致し方ないことでしょう。ブログは個人が自分の好きなこと・趣味を発信する場ですから、自然そのネタを理解できる人が読者になります。故に一々注釈を入れる必要もありません。
ただ、これが出版され自発的に訪れる人以外の目にも留まるとなれば、その全てがネタを理解できる人ではないので大量の注釈が必要に。でも結局理解不能

名前は出しませんが、別のサブカル系ブログ本。こちらはネタがついていけるのと、何より読みやすいのもあって同作者の本はコンプ。注釈も少な目。
安易に考えた違いは、「8〇1ちゃん」がブログ基本であるのに対して、某ブログ本は連載物など編集がかなりかんでいる点かと。第三者の視点が入ることで身内受けに留まることを防ぎ、大衆に受け入れられる理解「可」能なものを作る、と。
この場合の編集とはあくまで表現上の編集であって、ジ〇ンプなどの編集という名の路線変更は別物です。

 

私のこの日記も自分が好きなことをネタにしているので、見に来たはいいけど理解不能な人が結構いることでしょう。最近のネタだけでもリネ2・QMADS2QMA6ポケモン、端々に入っているネタも含めると全て網羅している人絶対いません。自分だけです。
好きなことだからネタになるのですが、あまり局地的だと一部の人しか理解できず楽しめない。特に自分の世界だけだと編集してくれる人もいないので「聞いてない 誰もそこまで 聞いてない」という自己満足産物になりがち。本人は吐き出せば満足、でも誰もついてこれない。
自分の文章が面白いのは自分だけであるとはよく言ったものです。自分の文章のネタや意図を100%理解できるのは書いた自分だけです。

仮にも物書きを名乗る人間として、かなりの自爆ネタ。難しいよな、楽しめる文章って。

あ、ところでPMの加藤さんってP42のGPSの人?