眠い。

忠臣蔵含め最終回色々書きたいことあったのですが、寝落ちだらけでもうこんな日。そうそう、その間にRBSPで3回目のGENIUS取りましたぜ。狂喜乱舞(店内)。CPU登場キャラとその行動パターン、シンクロ率と両の肘以降の動きが良くないと出せないので。でも一番高い得点出したのはもう8年位前。

さて、最終回連打ですが。まず「新選組!」に関してようやっと脳内でまとまったので。

まさか泥沼新撰組を「さわやか新選組!」にするためにホモに逃げたのではあるまいな?

「みんなそれなりにありがとう」くらいじゃないですか泥沼。この場合の「泥沼」とは「生々しさ」を指します。ま、タレント漫才だからどうしようもない展開だったんでしょうけど。キャラクタのグッドイメージだけを強調した典型的な「萌えキャラ」、とても現代人ウケを狙った物語でした。いじょ。

で、その後精神科にも行かず忠臣蔵見て凹んでいたわけです。色々な意味で。
んー、長かった割には物足りなかったような。片一方で討ち入り隠しているわ片一方でアッサリ言っちゃってるわ。バレないのかねえ。
あとどうでもいい所濃くして厚みが無くなっているのは「新選組!」に同じ。
新選組!」含め敵方の心情・内情を描いているのは面白かったです。現代人ウケっぽいですが。

結局どちらも時代劇風現代劇であって時代劇じゃなかったんですよね。民俗・文化を専攻していた者からしてみると、悲しくなるくらい。戦後直後くらいまでならば「時代劇」の価値観も時代も近くて理解できるものだったのでしょうけど、近年ではそうはいかないのでしょうかね。「京都・観光文化検定試験」は盛況みたいですけど。現代人にもわかるようにストーリー・キャラクタをアレンジ……悪いとは言わないんですが、そうすると普通の現代ドラマと何が違うのか、という問題になりませんかね。「歴史」は単なる舞台の一つですか? 何故「歴史」を扱うのですか? マンガスクールだと真っ先に落とされませんかね。臭○社とか重箱の隅的イヤミの所とか。
ちなみに私は民俗・文化専攻者としてはかなり落第の部類です。

簡単に言うと、「二兎を得る者は一兎も得ず」です。この時代万人受けなぞ存在しません。万人受けを狙うとどちらからもそっぽ向かれます。残るのはキャラ萌えのみ、と。そういう意味では「新選組!」は思い切った方向転換で潔いとも言えます。来年はそうもいくまい。